週末は倉橋由美子を探しに
長く名前を記憶していながら、作品を読んだことがなかった作家。名前を知った当時は興味を持てず、きっかけもなく読まなかった。若く、勢いがある作家の作品ばかり読んでいた。近代文学史にリストアップされるような作家は敬遠していた。もちろん、お金が余裕がなくて手が届かなかったという理由もある。
ぼくの読書体験には、多くの人と同じように大いなる先導者がいる。高校生時代のぼくにとって、未知なる作家の紹介役は筒井康隆だった。彼の読書日記やエッセーからぼくは多くの作家の名前を知った。彼と同世代の大江健三郎、すべての作品を読んでいると書いていた中上健次、個人的にシンパシーを感じているとしていた高橋源一郎。『文学部唯野教授』からは西洋の文芸評論家や哲学者、日本の批評家、柄谷行人を知った。名前を知ってもすべての作家の作品を読むことはなかった。
筒井康隆に続く、読書の先生は四方田犬彦だった。未知の作家だけでなく、彼からは読書スタイル、知的に考えること、些細なしぐさの大切さ、いろいろと学んだ。特別な作家の1人だ。
ぼくのミーハー気質も加わって、名前だけを知っている作家の数は急に増えた。興味を持った作家の本を読み、さらに作家の名前を知るというようにツリー上に広がっていった。高校生のぼくは、世の中にはこんなに読むべき作家がいるとは!ととても贅沢な気持ちになっていた。
ぼくの中で埋もれていた作家を読み出すきっかけはいろいろある。過去の作品が文庫で出版され、手に取りやすくなったこと。本に対する態度が柔軟というか、いいかげんになり、興味を持った作品を先入観なしに手に取れるようになったこと。そしてその作家の作品を読むために必要な経験を重ね、年をとったこと。
しかし、倉橋由美子を読みたいと思ったきっかけは彼女が最近亡くなったことだろう。報道がぼくの記憶から倉橋由美子という名を呼び戻した。彼女の作品で記憶しているのは、『スミヤキストQの冒険』だけ。それも内容ではなく、スミヤキストという言葉に引っかかっていたのだ。最近まで、すき焼きストと勘違いしていた。
今週末、古本屋で倉橋由美子の本を探そうと思っていたけど、風邪で寝込んで無理だった。講談社文芸文庫の新版を読むのか、古本を紐解くのかはわからないけど、未知の作家の作品を手に取るのはわくわくする体験だ。まだまだ未知の作家がいると思うと波がない広い海に泳ぎだしたように、豊かで自由な気持ちになる。
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